小さな鉄路〜鉄道模型の世界〜

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zoom RSS 日本の車窓(三角線)

<<   作成日時 : 2008/10/20 01:38   >>

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今日は熊本県を走る三角線のご紹介です。

 鹿児島本線の宇土と三角を結ぶ三角線の歴史は古く、九州鉄道により明治32年に開業しました。
 その後明治40年に九州鉄道が国有化、2年後に線路名称の設定で宇土〜三角間が三角線となりました。



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   グリーンマックス製 キハ200系
   「天草グルメ快速 おこしき」 三 角 行

 熊本市と明治20年に開港した三角港を結ぶ路線として計画されましたが、海岸沿いの地形の険しさから線路は当時の三角港の3キロほど手前の現在の三角駅付近で終着となってしまいました。
 大正時代に入ると鉄道の駅を中心とした三角東港の築港が始まり、こちらが新しい三角港の中心部となりました。

 三角港はかつて天草や島原方面への船便が発着した古くからの良港で、観光客の利用も多く最盛期には豊肥本線からの急行列車も乗り入れていました。
 しかし熊本新港や天草飛行場の開港、そして天草五橋で天草の島々を陸続きにした天草パールラインの完成で利用客は減少、現在は通勤通学輸送を中心としたローカル線となっています。

 列車はすべて宇土から鹿児島本線へ乗り入れ、熊本まで直通運転されていますが、通常はキハ40系とキハ31系の2両編成で、ワンマン運転が行われています。


 そんな中、唯一花を添えてくれるのが「天草グルメ快速おこしき」。

 土日のみの運転で一日一往復ながら赤い200系気動車が颯爽と三角半島を駆け抜けていきます。

 ちなみに、「おこしき」とは網田駅付近のにある御輿来海岸から取ったものです。
 この御輿来海岸はかつて景行天皇が九州遠征の途次、その美しさに御輿を止めてしばし眺められたとことに由来するもので、現在は御興来海岸自然公園として整備されています。
 対岸に雲仙普賢岳を望む有明海に面した海岸には、浜辺にせり出した洗濯岩と独特な文様の干潟模様が美しいコントラストをなしており、「日本の渚百選」にも選ばれていますす。

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 特に薄暮時に朱に染まった海岸の風景は、幻想的ともいえる美しさで、景行天皇ならずとも足を止めて眺め入ってしまいます。

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 有明海に沿って三角半島北岸を走ってきた三角線ですが、やがて三角半島を横断して終着駅三角に到着します。

 駅前の三角港は、かつては天草、島原方面への旅客船で賑わう交通の要衝でしたが、平成18年に島原航路のフェリーが廃止されてからは、島渡しの小さな連絡船が日に数本発着するだけになってしまいました。
 海のピラミッドと呼ばれる巻き貝の形をしたフェリーターミナルも閉鎖状態で、一抹の寂しさを感じます。
 


 せっかくここまで来たのですから、三角西港へも足を伸ばしてみましょう。

 かつて大学で港湾工学を専攻し始めたとき、一番最初に教授から指導を受けたのが広井勇先生の「日本築港史」についてでした。
 この本は明治の技術者がいかにして近代築港業を成し遂げていったが詳細に記録されており、港湾技術者の卵であった私にも、先達の矜持を感じさせてくれた名著です。
 
 この中で明治の三大築港事業としてあげられていたのが、宮城県の野蒜港、福井県の三国(坂井)港、そしてこの三角港で、私はこの三港すべてを訪れたことがあります。

 厳しい自然にさらされその痕跡すら消え失せようとしている野蒜港に対し、自然条件に恵まれた三角港はよく往時の姿をとどめており、オランダ人技師ムルドルの指導のもと、数々の近代土木技術を駆使して港町が拓かれていく姿が目に浮かぶようです。

 三角東港の開港で西港地区の港湾機能は失われてしまいましたが、それ故に時間の止まった西港には石積護岸や水路、建造物などが明治の姿のまま遺り、歴史公園「三角西港」として整備されています。

 しゃれたレストランや資料館もあり、ゆっくりと明治の産業遺産を散策してみてはいかがでしょうか。

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