小さな鉄路〜鉄道模型の世界〜

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zoom RSS 日本の車窓(日豊本線 その2)

<<   作成日時 : 2008/09/17 23:03   >>

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さて、宮崎から日向灘に沿って北上してみましょう。
というわけで、今回は日豊本線(宮崎〜延岡)間です。


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マイクロエース製 JR九州 485系
日豊本線 特急「にちりん」 別  府 行 


 日豊本線の宮崎から北へ延びる区間の歴史は、大正2年に宮崎〜福島町(現佐土原)間で開業した宮崎県営鉄道に始まります。
 この県営鉄道は大正6年の国有化で宮崎本線となって北上を続け、同11年に鉄路は延岡まで到達しました。
 大正12年に宗太郎峠を越える区間が開通し、小倉から南下してきた豊州本線と宮崎本線が繋がると、東九州を縦貫する待望の大幹線は日豊本線と名付けられたのです。
 

 宮崎から延岡までの区間は平坦のな宮崎平野を走る変化に乏しい路線で、高鍋鉄橋のような絶好の撮影ポイントもあるのですが、車内からの風景は至って単調です。
 
 私がはじめて日豊本線を訪れたときはまだ蒸気機関車が現役でした。
 始めて見るC61に感激したり、EF50の牽く20系「富士」にファインダーを向けたりと興奮ひとしきりでしたが、移動のために列車に乗った後は、あまりの車窓の単調さにぐっすりと寝込んでしまった記憶があります。

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 そんな単調な路線でちょっとした鉄な遺跡を着ることができるのが東都農付近、日豊本線に寄り添うように7キロばかりの高架線が現れます。
 これが我が国が誇るリニアモーターカーの最初の実験線跡で、山梨実験線へ移る平成8年までここで数々の実験が行われました。
 私がこの施設を見学させていただいたのが昭和61年のことですが、実験の印象よりも近傍の養豚場の臭いの方が強烈に印象に残っています。

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 美々津を過ぎるあたりから線路は山がちになり、何度か低い峠を越えながら延岡を目指します。

 美しい名前を持つ美々津は古い歴史を持つ港町で、鉄道開通以前はこの地方の物資集積地として大いに栄え多港町でした。
 現在でも石畳の通りに江戸時代から明治大正期に至る街並みが保存されており、散策を楽しむことができます。
 また神武帝が東征の折、水軍を率いてこの地より出帆した故事に因み、日本海軍発祥の地とされており、それを記念する石碑が建てられています。

 美々津の北にある日向細島は近代的な港湾都市となったところで、かつて日本カーフェリーの一大基地でした。
 長距離カーフェリーという新たな輸送手段を誕生させることで、南九州〜首都圏間に生鮮食料品輸送を中心にモーダルシフトを推進させた海運界の革命児こそ日本カーフェリーだったのですが、その後の燃料価格の高騰や旅客需要の低迷から平成2年にシーコムフェリー(後のマリンエキスプレス)に営業譲渡され、平成17年に航路そのものが廃止されてしまいました。
 川崎〜日向(宮崎)間の航路には我が国でも屈指の豪華高速フェリー「高千穂丸」「美々津丸」姉妹が就役しており、私もかつて「美々津丸」の旅を楽しんだだけに廃止は残念でした。

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在りし日の「美々津丸」「はまゆう」 昭和62年冬  日向港にて



 列車は旭化成の城下町延岡を過ぎ、宗太郎峠を越えて大分県に向かいますが、この後はまた次の機会にしましょう。

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